みらい通信

コラム

ハテナのとびら 親子レッスン 松原理恵さんのお話を聞きました

松原理恵さんは、社会人として立派に歩んでいましたが、ある日、自分の心の中にある思いと向き合って決めたのです。学生に戻ることを・・・。現在は、ご縁あってルワンダの人々の就労支援を実現する、アパレルの会社を立ち上げようと奮起していらっしゃいます。そんなバイタリティあふれる理恵さんはどんな子供時代だったのでしょう。

ハテナのとびら 親子スペシャルレッスンの講師として、松原理恵さんにお越しいただきました。振り返っていただく中で、理恵さんだけでなく、ご両親、弟さんの存在も大きく関わっていることが次第に伝わってきたのです。

小さい頃からを振り返って下さった理恵さんは、決して嬉しい楽しいことばかりじゃなかったのですと、お話を始めてくださいました。小学校3年生のころに、つらい経験から一度は学校にいけなくなったこともあったそうです。しかし、そんな苦しいことがあっても、再び元気に学校に通い始めつことができたのは、仲の良い弟さんや、そしてご両親の温かい愛情があり、支えてくれた周りの人々があったからでした。

小学校5年生からは、お父様の転勤で、マレーシアに渡り、毎日国境を越えてシンガポールの学校に通っていたそうです。その毎日が心に刻まれる経験となりました。同じ年ごろの少女が、毎日物乞いをしてくるのです。子供にはどんなに衝撃的だったことでしょう。「助けてあげたい。」しかし、その少女に少しばかりのお金を渡しても、彼女が食べ物を買えるわけではなく、お金を渡しても、そのお金はボスのような存在に渡さなくてはならず、彼女を救うことにはならないことを知ります。理恵さんの心に刻まれた出来事でした。

年月は経ち、理恵さんが中学生になった時にも、苦しい経験がありましたが、信頼している家族がそばにいることももちろんですが、理恵さんの心も思考も、すでに大きく成長していたのです。どんなに辛いことが起こっても、自ら持った目標を目指す理恵さんは、歩みをとめることなく進んでいきました。

大学生になったときには、世界中の友だちに恵まれ、30カ国以上をバックパッカーの旅をしたそうです。

そこにもご両親の愛があります。「何処に行ってもいいが危険なところには行ってはいけない」「その度の詳細を両親に詳しく伝えること」それが守れないときは、パスポートはご両親に渡してしまわなければならなくなるという「約束」でした。その時は大事なパスポートが取り上げられると、何処にもいけなくなることが嫌で、ご両親に従っていたようです。しかし、そうやってご両親に、訪れる国の知識やスケジュール、移動手段、場所の知識などを細かく知らせる報告書のようなものを作っているうちに、自分が今から行く場所について、事前に詳しく頭にインプットされていたのでした。ですから、国土の広い国、治安のあまり良くない国で、自分がどの範囲で行動したら安全に過ごせるのか、困ったときにはどうすればよいのか、困らないようにするにはどうしたらよいかをすっかり覚えてしまっていたので、一度も危険な目に合わずに楽しい旅をしてこられたのです。理恵さんはいつのまにか、地球を自由自在に旅する「自由の力」を得ていたのです。ご両親は「過保護」でそうしていたのではなく、自分の身を自分で守れる教育をしていたのです。

「自由」ほど危険で大変なことはないと、理恵さんご自身も感じていらっしゃいました。自由自在に生きるためには、どんな事が必要なのか、ご両親はきちんとご理解されて、ごく普通に、当たり前に実践されていたのでしょう。

実際に理恵さんは、年齢が上がるにつれて自由自在にやりたいことへ向かう力をつけて活動されています。

お仕事について、「なぜルワンダを選んだのですか?」という質問に答えた理恵さん。アフリカは、アメリカやヨーロッパに比べると、決して簡単には行かないだろうと感じたそうです。しかし、困難に思うところでまずやってみたら、どこででも何でもやっていけそうだなと感じたから、大変そうなところを選びましたと、それはそれはワクワクしていて、はじけるような笑顔で、おおらかにお話ししてくださいました。

心の底にある、「誰かのために」という思い、そして理恵さんが自分のやりたいことに、自由に向かっていける「自由自在」の力を育んでくれた家族や環境が、現在の素敵な心を持ち、たくましい実行力のある理恵さんを形成してきたのです。自由に生きる力は、子供の頃に自由(自分勝手)(放任)で育てられてのことではなく、自由自在に生きていける能力を育んで下さったご両親、ご家族、環境のおかげであり、困難に立ち向かう勇気やおおらかさを持っているからこその「自由」なのだと感じました。

教育は人格形成です。

みらい塾は、大切なお子様の
元気いっぱいの一歩を応援します。